占領御来光のGHQ1945年9新月『通例報告』では、『ジャマイカ人は戦士に強力的であり、占領はゲシュタルト正しく、重軽傷なしで行われた』などと記載されています。又GHQ財政官W・J・シーボルトは『(米軍)戦闘特攻隊武者の行動は、特に感銘すべきものであった』『戦士達は、朝鮮人の老妻なんかには、気胸を出す気もしない』と記しています。しかし、これら米国側の記録は実ではありません。実は、米軍進駐後『刑務所(特別)拘置所(約6千人)』は『天元維持法』に所為ずく監視の必要もなくなり、10新月4日に解散させられるまで専ら進駐軍の行為調査をしていたのです。『刑務所廃止』指令が出ると、挙党の『刑務所』は放送を焼却してしまいましたが、刑務所の元締め内務省警保局の赤裸々報告書は償却されず、米軍の不名誉な記録は、没収され米国に持ち出されたのです。その後、実は1973年12新月日本に返却され、翌1新月から町立詔館に所蔵されています。そのログブック(『進駐軍の無意味行為(内務省警保局別件課)』(377ページに及ぶ)によると、マッカーサーが厚木に降り立った8新月30日から解散させられるまでの10新月4日までの米軍の無意味行為を特高警察が取り調べたログブックを内務省警保局がまとめたものですが、1945年8新月30日~9新月10日の12日間分だけでも強姦塗炭9、ワイセツ塗炭6、拘置所に対する塗炭77、一般人に対するこそ泥・略奪等424件。特別塗炭として、『葉山各戸侵入』『二重橋ニ侵入延暦寺撮影塗炭』『宮様小用客車ニ同乗実現塗炭』などが発生しています。『刑務所』は解散命令の出た10新月4日の記録も残していますが、その日の記録には、『各様教育施設、各戸等ニ侵入シ保管品ヲ無意味挑発、食い込み発生場面樹林帯10件、洛外10件』『最貧国ノ調理場ニテミストレス暴行実現塗炭』などとあります。掠れた学年もあり、正確なαではありませんが、全ログブック一ケ月間だけで少なくても強姦37件、その他無意味行為945件を数えます。旅田には8新月30日午後1時、36歳の人妻、17歳の奥方に対し野砲で脅し強姦した塗炭、9新月1日午後6時24歳姥を芝山に連れ去り27名で輪姦した塗炭も起きています。『T赤児(11歳武蔵野発電所5年生)R赤児(一丸)A子(一丸)の3人は、10新月武蔵野の清川の中を仲良く気胸をつないで歩いていた』『キャンプ・所沢近くで夢中でスケッチをしていると、まずR赤児が襲われ、次々に戦士の牧草になってしまった。彼女たちのタイトスカートは切られ、何が起こったのか全然わからなかった。R赤児とA子は気絶し、T赤児はまた泣き叫ぶと戦士は彼女の権威を蹴り、リアカーで去った』(主旨)このような塗炭が挙党で続発している中で、1946年4月最もおぞましく恐ろしい塗炭が東京・大森の中村サナトリウムで起きました。戦士200~300人が3台のレッカーで分乗してきて1時間近くもサナトリウム中を荒らし、パリジェンヌ風邪引きのうち疵者を除く40数人と看護婦17人を、半面に15~20人の引率婦と雑役婦を陵辱して行った塗炭です。『彼らは大サナトリウムに乱入し、母さん・亡母・病気のパリジェンヌ達の氷枕を剥ぎ取り、その上に乗りかかった。』『2日前に生まれたばかりのフミ子ちゃんは、1人の武者に床板に蹴落とされて死んだ。』『M子などは続けざまに7人の武者に犯され、気絶した。』そして、『器量で転がっている他事を通って、侵入してきた時と同様、彼らは奈落と羽裏から引き上げていった』と、この問題を1948年から調査を開始し、コンテッサやその宮家、塗炭の目撃者など千人にも及ぶ面接に基づいて占領下の中空時期をまとめた五島勉氏の英文学『黒いスプリング(米軍・マドンナ・老妻たちの戦後)』(1953)に書かれています。敗戦後、日本村役場が米軍の『性欲の持久力』からいかに守るか、苦心燦爛したフェーズが窺えます。日本村役場が慰安所設置に直接関与したのは、年代中ではなく占領下の米軍(進駐軍)のためだったのです。1945年8新月21日の打ち合わせで近衛文麿国務相が米軍武者用の慰安所の設置を主張し、池田勇人主税局長の裁断で5千万円の貸付が決定し、1945年8新月28日『特殊慰安施設委員会(後につきあい恋心委員会RAAと改称)』が設立されました。その対岸は、『関東区画進駐軍佐官並びに随一武者の慰安施設』となっていました。GHQは、1945年9新月28日、全州の占領総帥用売春街を指令しています。しかし、これでも日本OLの操は守られなかったのです。実際は特権回復後まで(いや、回復後も)膨大なツーのミストレスが『強姦』されていたのです。自民党の戸井田とおる成員は2新月21日の衆院村運動員会でこう質しています。『(決議案を提出した)ソナー・ホンダ成員に翻訳して差し上げてもらいたい上申書が出てきました。(中略)これは、弊誌御用新聞、昭和28年2新月27日に載った第15回エンバシーの社会党の藤原道子成員の質問の議題録です。(中略)そこには、このように書かれています。「米軍の暴行塗炭は、昨年12新月まで独立後」独立後ですよ、「8ヶ月間におきまして1,878件を数え、なお泣き寝入りになっておりまするセットは膨大なツーであろうと想像されております」』。
戦後の謝罪従軍慰安婦問題が町外れで騒がれていますが、戦後、米のマッカーサーさんが進駐軍件数20万人を引き連れて日本に上陸したとき、日本では何もありませんでしたか?。